ある日マリアさんは

 以前コメントを書きました。
http://d.hatena.ne.jp/raindroptraces/20081120/p1
 道を歩いていたら困って泣いている人がいたので、嘘を吹き込んで絶望させてやろうという邪悪な気持ちで近寄っていきました。だからコメントで書いた
>生徒会長と川嶋亜美は実は同一人物なので見分けることはできません(笑)
は正確には
>生徒会長と川嶋亜美は実は同一人物なので見分けることはできません(邪)
です。人の頭を足で踏みつけながら喜悦の表情で顔を歪めるような醜い(笑)でした。ごめんね。


 そういう気持ち80%で書いて、それだけだとなんだからリンクはってくれればなんか書きますよー、と書いたのです。残りの20%はなんか正しいそうなこと書いてるのが悔しいから粗を見つけてケチつけてやろうという、これもまた人としてイケテナイ気持ちです。でも闘争心は大事です。
 で、何を書こうか考えてたらわりと良さげなことを思いついたのでそれを書きます。


 「マリアさんは家庭教師」のところです。以前raindroptracesさんは「この漫画において執事と先生は本質的に同じなのではないか」と書かれているわけですが、本当に粗だけ探すと(ご自分でも書かれているように)メイドと執事はやはり違うだろう、だってメイドにはあの伝説のドジっ娘メイド・サキさんがいるんだよ、ってことになります。


 しかしこれだけでは私が残念な子になってしまうのでもう少し書きます。
 raindroptracesさんがいう「先生」とは「雪路は西沢さん(主)をしっかり導いている」という一文から、「生徒(主)を導く人」という意味だと解釈します(これは5巻1話氷室の「(執事には)主を良い方向へ導く責任がある」という発言と一致しており、raindroptracesさんはこれをふまえて書いていることは明らかです)。するとマリアさんは「ナギを導く人」となるわけですが、これは正しいのでしょうか?(raindroptracesさんの記事ではハヤテを「先生」と解釈する可能性もあるのですが(というか執事であるハヤテは氷室の発言からすると必然的にここでいう「先生」になるのだけど)、今回はマリアさん限定で考えます。)


 私はマリアさんにナギは導けないと思っています。この場合どこに導くかという問題がありますが、ナギの(良い)将来、でしょうか。
 そう思うのは以前からなんとなくマリアさんのナギに対する教育に違和感を覚えていたからです。マリアさんがナギにあーだこーだと言うときって、ほとんど全部が学校関連なんですよね。学校に行きなさい、勉強しなさいとか。でもこれって変だと思います。ナギは頭のいい子で成績に関しては全く心配ないんだから。ナギが学校に行かないのは性格的な理由が大きいでしょうけど、ナギにとってみれば学校に行かなければいけない理由がないからだと思います。机と椅子に縛り付けられるだけの授業はつまらないし、友達も少ないから楽しみもあまりない。
 ではなぜマリアさんはそんな無益なことを言うのかというと、それしか言うべきことを知らないからです。だってマリアさんが知っているのは三千院家と学校のことだけなんですから。
 ナギとマリアさんって本当のところ同じくらいの経験しかないんじゃないでしょうか。確かにマリアさんは多くの場面でナギより遥かにうまく立ち回ることはできます。でもそういったことではナギを良い方向へ導くことはできないでしょう。


 逆になぜ雪路は西沢さんを導くことができたのか?西沢さんを導いたのは雪路の生き方そのものではないでしょうか。無茶苦茶だけどちゃんと生きていける。そういう生き方は"普通"の家庭で育った西沢さんには新鮮でまた強烈な印象を与えたのではないか、"普通でなくてもいい"という暗黙の教えが西沢さんの行動力につながっているのではないかと思います。中学生の西沢さんが雪路に出会って、ビックリして目を丸くしたり笑ったりしている場面を想像すると実に楽しいものです。


 マリアさんは雪路が西沢さんを導いたようにナギを導くことはできないでしょう。二人とも同じようなことしか知らないのですから。


 小さい頃に母親を亡くして、寂しくて一人で泣いていたナギのそばに現れてずっと一緒にいてくれたのがマリアさん。二人でともに歩んできたけれど、二人ともどこに行くべきなのかわからない。マリアさんがそばにいる限りナギはマリアさんを離さないでしょう。でも二人でいる未来は二人ともが不幸なるのではないかと思います。ナギもマリアさんも、どちらもお互いの存在によって自分の不幸を癒しているように見えます。ナギはマリアさんによって孤独を、マリアさんはナギによって捨て子だった自分の存在理由を。これまではそれでも問題はなかった。でもいつまでもそうはいかなくなる。いつかは自分の不幸を自分の力で乗り越えなければいけない時が来る。
 ある日マリアさんはそのことを悟ってナギのそばを離れる決心をする。


 と、書きながら考えました。なんとなく今まで思っていたことです。ところでこの話(妄想)の中にハヤテは存在しません。なぜか私はハヤテを自分の想像の中に入れられないんです。ハヤテの存在は謎です。ハヤテのごとく!という物語において、主人公であるハヤテは女の子達の成長を促すだけの、化学反応における触媒のようなものなのではないかと思っています。化学反応式に触媒は現れないように、ハヤテは物語全体に関与しながら、どこか蚊帳の外にいる、そんな感じです。まあアテネのことも考えてないんですが。ナギとマリアさんの話だけですね。


 こんな感じです。