咲夜さんの関西弁にツッコんでみた

前から気になってたんですが、咲夜さんて関西弁がとてもうまいですよねぇ。「そりゃ関西人やからに決まっとるやんけー!」というツッコみが入りそうですが、そうじゃなくて畑先生が、という話です。
畑先生は関西出身かな?と思って調べてみたら、福岡生まれで、小学生の時に兵庫県に引っ越して、大阪芸大に行ってたらしい。やはりネイティブか。

しかし、初登場したころを読み返してみると、関西弁としておかしなところが結構ある。
よし、そのうち京都出身(ただし北部、京都中心部に住む人はそこを京都と認めない)のオレが添削してやるか。


と思っていたら、単行本15巻発売直後に咲夜嬢FCの会長さんのこんな記事がアップされてたので、ちょうどいいのでブログを開設してみたわけです。

それではここからが本題。
オレの関西弁が本当に正しいのかは保証しないけど、関西人ならリズムでわかると思う。少なくとも最近(単行本15巻が出たあたり)の咲夜さんなら言わないと思われるレベルでチェックしてみた。

2巻
出てきた当初の咲夜さんは一人称が「私」だったんですね。


26ページ5コマ目
チーズフォンデュは食べ飽きちゃって・・・」
"・・・"の部分を無視して
チーズフォンデュは食べ飽きたんや」
くらい?もっと言うと
チーズフォンデュは食い飽きてん」


27ページ4コマ目
「新しい執事と面白おかしく暮らしているらしいやん」
これはおかしい。
「新しい執事と面白おかしく暮らしてるらしいやん」


29ページ1コマ目
「しまったぁああ!!」
しもたなぁ!
「しもたぁああ!!」


32ページ3コマ目
1コマに3つ。

「例えば車にひかれても平気だったり」
「例えば車にひかれても平気やったり」


「得体の知れないロボと戦ったり!!」
「得体の知れへんロボと戦ったり!!」


インパクトが足りないんやぁ!」
インパクトが足り(へ)んのやぁ!」


36ページ5コマ目
「でもまだそいつを認めたわけじゃあれへんからまた来るわ」
微妙。
「でもまだそいつを認めたわけやあらへんからまた来るわ」
かな?
"わけじゃ"→"わけや"はこれでいいと思うが、
"あれへん"→"あらへん"はどっちでもいい?


94ページ4コマ目
「だいたい今だって見ろ!!」
「だいたい今か(っ)て見ろ!!」
"っ"はお好みで。


3巻
3巻から一人称が「ワシ」になってます。これはちょっと行きすぎ?


60ページ2コマ目
「つーか、ずっといたんやけどな・・・」
「つーか、ずっとおったんやけどな・・・」
これは最高に微妙。
"いる"なのか"おる"なのか、俺には正直わからん。
別のところ(例えば3巻168ページ6コマ目)では"おる"が使われています。
なので、他の人の意見を求めたい。
とりあえず、今後は"いる・おる"問題についてはスルーします。


60ページ5コマ目
「なんだったら、」
「なんやったら、」
こっちは明白だが、次の

「教えてやらなくもないで・・・」
は微妙かな。
「教えてやらんでもないで・・・」
のほうがいいかと。


66ページ2コマ目
「負けを認めない事と」
微妙だが、
次のどっちかが良いかと。
「負けを認めへん事と」
「負けを認めん事と」


169ページ1コマ目
「どーせ脇役だし(ハート)」
ハートがついても見逃しません。
「どーせ脇役やし(ハート)」


5巻
157ページ4コマ目
「やっぱデザインがまずかったのかなー」
久しぶりのミス。
「やっぱデザインがまずかったんかなー」


11巻
一気に11巻まで飛びます。
180ページ1コマ目
「だったら夕飯まで時間あるし、」
微妙だが、
「せやったら夕飯まで時間あるし、」
だと思う。
次のコマでは"せやから"と言っていますし。。。


最後に会長さんのところで指摘されていた修正個所について考えてみると、1つ目の
「詳しくなんねん」→「詳しなんねん」
はわかりますが、
「こんなもんもろても」→「こんなんもろても」
は微妙。これまで書いてきた指摘のレベルだとどっちでもいいと思います。


15巻まではこんなとこです。
ご覧の通り、出始めのころはちょろちょろ変なところがありますが、4巻以降はほとんど違和感のあるセリフはありません。
おそらく相当念入りにチェックしているのだと思います。
2,3巻のころは畑先生も余裕がなかったんでしょうか。


以上で咲夜さんの関西弁についての考察は終わり。


あとは関西弁が使われてる本を紹介してみる。

ぼんち (新潮文庫)

ぼんち (新潮文庫)

オクシタニア 上 (集英社文庫)

オクシタニア 上 (集英社文庫)

「ぼんち」は戦前の大阪の商家を舞台にした作品。非常に気持ちの良い関西弁が読めます。
オクシタニア」は中世フランスが舞台。なぜにそんなとこで関西弁?と思うが、作意として使ったらしい。