いくつかの言葉の解釈を長々と

Re: http://d.hatena.ne.jp/raindroptraces/20081207/p1
 くぅ、なんかバカにされた気がする。自分で蒔いた種のような気もしますが。
以下も参照:
1.http://d.hatena.ne.jp/raindroptraces/20081120/p1
2.ある日マリアさんは - Mesanの誤爆日記


 raindroptracesさんとの間には「導く」という言葉の解釈にギャップがあって、それが齟齬の元になっているような。一々反論することもできるのですが、たぶんそれは不毛な争いになるので反論はそこそこにして(半分以上反論ですが)、私の思い、みたいなのを主に書きます。つまんないとか言わないの!長いうえに分かりにくいところも多々あると思うので覚悟して読むように!


 始めに本題ではないけれどサキさんについて言うと、一般的に「反面教師」というのを評価するのは難しいと思います。ハヤテの親だってハヤテにとっての「反面教師」と言ってもよい面がありますし、結局「反面教師」から何かを学べるか否かは学ぶ側の問題ですから(どんなに立派な教師からでも学べるか否かは最終的には学ぶ側次第ではありますが、少なくも「反面教師」は教師自身は誉められたものではないでしょう)。つまりサキさんは人としては認められても先生としては認められないです、私としては。


 さて、本題のマリアさん。確かにマリアさんは学校については良く知っていると思いますし、その中で積んだ経験はナギよりずっと多いでしょう。ただ私が言いたいのはその他のことについては知らなさすぎるのでは?ということです。

少なくとも学校がどういうところなのか(恋愛面以外)は熟知しているはずです。マリアさんがナギに「勉強しなさい」はともかく「学校に行きなさい」というのは、ナギにとって学校に行くことが必要だと考えているからでしょう。
http://d.hatena.ne.jp/raindroptraces/20081207/p1より

 確かにそう考えているのでしょうが、一方でマリアさんがナギに「学校に行きなさい」というのはその他の選択肢を考慮した上で言っているとは思えないのです。他の、というのは極端に言えば二人で旅に出てナギに様々な経験をさせるとかですね。そんなのはナギ自身が嫌がって学校に行く方がマシと言い出すかもしれませんが、マリアさんはそんなことはそもそも考えもしないでしょう。なにせ普通の電車と新幹線の区別もつかない人ですし。
 学校に行く利点はraindroptracesさんの挙げるようなものは確かにあると思いますが、それでもナギは喜んで学校に行くことはないでしょう。行かないよりは行った方がいいとは思いますが、まあこの辺りは私が小学校から高校の12年間なんて半分くらい学校に行けば十分と思っているような人なのでそれが噛み合ない原因なのかもしれないですけど。少なくとも

マンガ家は紙とペンにしろ、パソコンにしろ絵を描くために長時間机に向いますよね?「机と椅子に縛り付けられるだけの授業」はそのために必要な修練であると言えます。
―同上

は全く不同意です。自分でやると決めたことのために机に向かうのと、とにかくそうしていないとダメだから机に向かうというのは全然違うと思います。やはり意思というのは大事だと思います。私がナギにとって学校はあまり重要でないと思うのは、ナギ自身が学校が重要なところだと思っていないからなんですね。思っていなくても良いことはあることは認めますが、ブツブツ・・・。また「無益」と書いたのは、本人の意思とは別に学校に行くというのはありだと思いますが、学校に行かなくても勉強にはついていけるし行ってもつまらないから行かないと言っている人に行きなさいというだけというのは意味がないんじゃ・・・、という意味です(私は左記の「行かない理由」はもっともだと思うのですが、それが問題?)。まあ今まで散々策を弄してきたけど甲斐がなかったからストレートに行きなさいというだけになったような気がしますが。HIKIKOMORIを説得するのは難しいですねぇ。


 ちょっと脇道に逸れますが、ヒナギクに対してならマリアさんは良い「先生」になるかもしれないと思います。二人とも「できる人」だから「できる人の論理」で通じ合うものがあるし、より「できる人」としてマリアさんヒナギクに教えられるものはあると思います。でもナギはそうじゃないんですね。4巻でナギがヒナギクに憧れていたことが明かされていますが、ヒナギクみたいにはなれないとわかった、というのはナギにとってちょっとした挫折だったと思います。そのちょっとの挫折感が、学校に行ってもたいして意味がない、という元からあった思いを強化したと思うのですが、マリアさんはナギが一時はやる気になったこととかヒナギクに抱いた気持ちのことを知っているのかなぁ。
 何にせよ、そもそも17歳の女の子に日々の生活から将来のための教育まですべて任せていることが問題だと思うのですが。


 さらに続けます。
 マリアさんはナギをしっかり導いている、とのことですが例えばバイトの話は元々ハヤテが(なんだか知らぬ間に)ナギにやる気を起こさせてマリアさんはそれを後押しした、という形です。学校に行くようになったのもハヤテの存在が大きいですし、ハヤテがいなければ作中4ヶ月余りの間のナギの変化はなかったと思われます(まあ主人公ですしね)。マリアさんはあくまで「後押し」をする役であって、「先導する」役ではない。もっともハヤテも自覚して「先導」しているかは疑問で、自覚しているのは野々村とか何かよくわからんけど氷室なんでしょう。私としては「導く」というからには、導く先を自覚していて欲しいところですが、これはかなり厳しい条件になると思うので「自覚」については置いときましょう。
 この辺りはマリアさんは「保護者」であるという網創漠蓄さんの記事が参考になりました。
 ナギの見る夢は - 網創漠蓄


 その他、特に食事の件については「導く」という言葉の意味をどう捉えるか、ということになると思います。私はこの言葉を「成長」という言葉と絡めて考えています。「成長」を促すのが「導く」ということだろうと。ところで私は「成長」とは大きさと、それとは別に「方向」も持っていると思っています。「大きさ」と「方向」を持つ量として数学的なベクトルを考えてみるとなかなか面白いのですが、それはいずれ別の記事で書くことにします。食事は、この方向を全く欠いている、少なくとも今の所それがどういう方向を向いているのか全くわからないので「成長」とは関係のないエピソードだと思っています。なので「導く」というのとも関係がなくなってしまいます。
 もう一つ、「成長」という概念について考えているのはそれがキャラクタの「不可逆的な変化」だろうということです。連載開始時からナギは変化していると思いますが、それを「成長」と私が受け取れないのは不可逆な変化とは見なせないからです。作中で描かれるであろうナギの最大の変化は、おそらくマリアさんとの関係において現れるでしょう。今のところナギはマリアさんなしではやっていけなくて、マリアさんがいなくなってしまえば精神的にその生活は破綻してしまうと思われます。それは以前も今も変わりのないことで、それが変わること、つまりマリアさん抜きでもやっていけることがナギにとっての「成長」になると思っています(それだけがナギの「成長」なのかはわかりませんが)。
 今までのところのナギの変化は色々な「方向」を持っているのでしょうが、ある時点で「成長」の方向が明らかになることでそれまでの変化についての解釈が可能になるとか。特にナギの「成長」の方向性はハヤテのごとく!という作品の価値観と一致するものが多いのではないかと思います。それがナギがメインヒロインたる所以かと思うのですが、まあこのセンテンスはかなり適当です。
 何かたくさん書きましたが、ハヤテのごとく!という漫画が向かう先がはっきりしない、というか元々目標を掲げてそれに向かって努力するといった類いの作品ではないため「成長」といわれてもピンとこないことがあったので、良い機会だから考えていたことを書いてみました。的外れかもしれないけど自分なりに考えるというのは楽しいものです。「成長」という言葉についてはいずれまた書くつもりです.


 こんなところです。
 ずいぶん時間がかかりましたが、なんとかスッキリして年を越せそうです(笑)。