あきらめましょう

 咲夜嬢の出番が減らされてるとは思わないけど… --サクラ咲く夜に--
 例の騒動がまだくすぶっているようなので、個人的な意見をいくつか。先週末に書いた記事が偶然この件にニアミスしていて楽しかったのですが、冗談は抜きにして。


 1.一連の記事に挙げられているサクラ日記さんの記事が削除されていることについて。
 削除されているけど、キャッシュを探せば何を書いていたか見ることはできます。tanabeebanatさんが書かれた文章を公開する前に確認すべき10箇条という記事の1つに「一度書いたことは取り消せない」というのがありますが、まさこれです。変なことを書いたと思ったなら削除するより別の記事などで言い訳をした方が良かったんじゃないかと思います。今回のような話でリンクされている記事が消えていると、なんとなく泥沼感があって嫌な感じがしましたので。
 まあ、私も過去のどうでもいいことを書いた記事は消しましたし、個人の自由なのですが。


 2.贔屓疑惑について。
 先に断っておきますが、私はナギ派です。
 ヒナギクの描かれ方が他のサブキャラよりも目立って良いのは意見ですが、2つ私見があります。


 最近ヒナギクがハヤテを好きになった時期に関する考察がありました(継続中?)が、それを読んでいるとヒナギクは畑先生が特によく練り込んで創ったキャラクタなのではないかと思われます。そもそも桂姉妹はハヤテのごとく!とは別のマンガの主役として考えられていたそうなので、畑先生の思い入れも他のサブキャラより強いのかもしれません。従って、創作上の自然な流れとして、ヒナギクがより魅力的なキャラクタになってしまったのではないかと思うのです。
 そうだからといってヒナギクばかりが目立っていいのかという話ですが、私はいいと思います。そもそもすべてのキャラを平等に扱うというのは不可能ですし、そのようにしようと努力した結果、作品が台無しになっては元も子もない。それを判断して調整できるのは作者と作者に影響力を持てる担当だけで、読者にはどうにもならないことだと思うのです。これが1つ目。


 2つ目はそれに対する読者の反応です。
 一連の記事を読んでいると、キャラの人気によって登場回数が増減するのは悪いことだという考え方が基本にあるようですが、take23さん達が作成者側に注文をつけるのはそれと同じではないかと思えます。一方は自分の好きのキャラをもっと出せという意見、もう一方は作品全体のことを考えてキャラをもっと平等に扱えという意見。読者の意見を反映するということでは変わりがありません。後者の場合、自分たちはよく考えていて、サイレントマジョリティーも同じ考えをしているんだ、だから自分たちの意見は反映されるべきで、そうでないのはおかしい、と言わんばかりでもあります。私にはある種の社会正義を語る人たちと同じ臭いを感じます。


 少し言い過ぎかもしれませんが、率直に言えばそう思うのです。


 1つ目で言ったように、読者にはたいした影響力はないのです。梅雨の時期に雨が降らないのと同じ、困った自然現象として愚痴をこぼすしかない。作品は読者のためのものであったとしても、読者のものではないのです。読者にできるのは120%作品を楽しむことだけです。私がブログで感想を書く最大の目的はそれですし、他の人もだいたい同じでしょう。人によっては絵を描いたり2次創作をしたりするのですが、それ以上はできないでしょう。


 何を言いたいのかわからなくなってきましたが、つまるところグダグダ言っても仕方ないということです。あきらめましょう。
 同じあきらめるのでも、きよさんが言っているように、「畑先生がこの先どういう展開を紡ぎ出すのか、それをわくわくしながら待っていればいい」というのが良いのではないでしょうか。


 真夜中に書いたので、そろそろ寝ます。明日見直して手直しするかもしれません。